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「ダウンタウンチャンネル」始動目前──俺ら陰キャには関係ない…と思ったら意外とヤバい動きだった件

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2025年11月1日、日本のテレビ業界を揺らすかもしれないプロジェクトが動き出す。名前は「ダウンタウンチャンネル(仮称)」。吉本興業が仕掛ける有料配信サービスで、松本人志と浜田雅功のコンビが“テレビという檻”を飛び出して、自分たちの手でコンテンツを届けようという試みだ。

……と言っても、俺みたいな陰キャには正直あんまり関係ない話だと思ってたんだよ。「お笑いレジェンドがまた新しいこと始めるのか〜すごいね〜」くらいの温度感。でも、調べれば調べるほど、これは“ただの芸人の副業”じゃ済まない。お笑いコンテンツの作り方そのものが変わる可能性を秘めている

というのも、ダウンタウンチャンネルの狙いは単なる「動画配信」ではない。彼らが目指しているのは、「自分たちの手でお笑いの生態系を作り直す」ことだ。地上波の枠組みでは放送できなかった企画や、スポンサーに遠慮してカットされていた尖ったネタ、さらには“伝説”と呼ばれる過去番組の再編集版まで、すべてを彼ら自身が主導して再構築する舞台がここになる。

思い出してほしい。かつて『ガキの使いやあらへんで!!』が年末の恒例行事になった時代、あれはテレビがまだ“王様”だった頃の象徴だ。でも2025年の今、王様はもう王様じゃない。Netflixがオリジナルで芸人番組を作り、YouTuberが街頭インタビューで何百万再生を稼ぎ、素人がTikTokでネタを配信して笑いを生み出す時代。お笑いの「主戦場」はとっくにテレビの外へ出ている。

ダウンタウンの二人は、そんな構造の変化を敏感に察知している。松本人志は以前から「地上波ではもうやりたい企画ができない」と公言していたし、浜田雅功も「テレビは“逃げ場がない”」と語っていた。そう考えると、この“自前チャンネル”構想は必然の一手なんだ。テレビの制約を飛び越えて、自分たちの価値観でコンテンツを作り、直接ファンとつながる──**いわば“お笑いの直販モデル”**が、いま芽を出そうとしているわけだ。

とはいえ、俺らみたいなチー牛側からすれば、「いや、月額いくらすんの?」「過去作ならYouTubeの切り抜きで十分じゃね?」ってツッコミたくもなる。でも、この動きは単なる“芸能人のサブスク”という枠を超えて、文化の転換点になり得る。
たとえば音楽の世界でも、昔はCD会社が流通を握っていたのが、今はアーティストが自分でSpotifyやBandcampに出せる。車業界でも、メーカーがディーラーを介さずオンラインで直接販売を始めている。──“中抜き”と“直販”は、今あらゆる分野で進行中のトレンドだ。

ダウンタウンチャンネルは、その「お笑い版」になる可能性がある。もちろん失敗するかもしれないし、結局は信者向けサロンで終わる可能性もある。でも、30年以上も日本の笑いのトップを走ってきた彼らが、「次の30年」に向けて選んだ答えがこの形なら、ただの小ネタでは済まない。

……まぁ、俺は課金するかどうかまだ迷ってるけどな。とりあえず、カップ麺すすりながら11月1日を待つわ。

目次

ネットの反応で見えてくる「ダウンタウンチャンネル」の本音と不安

ダウンタウンチャンネル」の発表直後から、ネットではさまざまな意見が飛び交っている。X(旧Twitter)を眺めていても、まるで“お祭り騒ぎ”と“冷笑”が同時進行しているような混沌ぶりだ。

まず目立つのは、往年のファンたちの圧倒的な期待感だ。
「“ごっつええ感じ”の未公開回を見たい!」「ガキ使の裏話を二人の口から聞けるなら課金する!」といった声は多く、長年ダウンタウンを追ってきた層にとって、このチャンネルは“もう一度青春に帰れる場”でもある。
テレビでは二度と実現しないと思われていた企画や演出が復活するかもしれないとあって、期待値は高い。

一方で、冷ややかな視線も少なくない
「月額払ってまで見る価値ある?」「どうせYouTubeの切り抜きで十分」
「松本の件はどうなったの?説明もないまま復帰って…」
という声も多く、かつての熱狂がそのまま現代に通用するかには懐疑的な意見も根強い。とくに若年層ほど、そもそも“ダウンタウンをリアルタイムで見ていなかった”という層が増えており、「過去の栄光だけでは戦えない」と指摘する声もある。

こうした温度差は、「文化の世代交代」がすでに進んでいる証拠でもある。
90年代、2000年代のテレビの中心だった彼らも、いまや“知らない人も多いレジェンド”だ。そこに「有料」というハードルを設けることが、古参ファン以外をどこまで巻き込めるのか──その答えは未知数だ。

もっと言えば、松本人志に関する過去の疑惑への対応も、このプロジェクトの評価に直結する可能性がある。
「本当に説明責任を果たしたのか?」という問いが解消されなければ、いくら良質なコンテンツを出しても“気持ちよく楽しめない”と感じる人は出てくる。
裏を返せば、このチャンネルが“本人からの言葉”や“再起への物語”を提示できれば、ただの配信サービスではなく、文化的なリブートの舞台にすらなり得るということだ。

……まぁ俺はというと、「正直、そんな難しいこと考えず、昔の“あほあほマン”がまた見られるならそれでいい」派なんだけどなw
ただ、それくらい“熱狂と冷笑の温度差”が極端なのが、今の「ダウンタウンチャンネル」を取り巻く空気なのは間違いない。

なぜ今「ダウンタウンチャンネル」なのか──お笑い産業の構造変化を読む

ダウンタウンチャンネル」の登場は、単なる芸人の副業でも“懐かしコンテンツの復活”でもない。もっと深いレベルで言えば、これは**お笑い産業そのものの「供給構造の転換」**を象徴している。

まず前提として、日本のテレビ業界はここ10年で劇的に変わった。
地上波の広告収入はピーク時の約7割まで落ち込み、番組制作費も年々削られている。スポンサーの顔色をうかがい、視聴率という数字に縛られる中では、「ごっつええ感じ」のような実験的な番組や、「ガキ使」末期のような“攻めた笑い”を継続することはもはや難しくなった。「テレビの檻」では、ダウンタウンほどのブランドでも動けなくなっていたのだ。

一方で、NetflixやAmazon Prime Videoといった海外配信勢が台頭し、さらにYouTubeやTikTokといった“個人メディア”が爆発的な影響力を持つようになった。
この結果、「笑いはテレビが作るもの」という前提は完全に崩れた。むしろ、スマホの向こうで名もなき投稿者が一晩で100万再生を叩き出す世界だ。
ここで重要なのは、ダウンタウンがこの変化を“自分たちが外された”と嘆くのではなく、自分たちがそのフィールドに乗り込む側になると決めた点にある。

自前のプラットフォームを持つ」というのは、単に中抜きを狙ったビジネス的な話ではない。
テレビ局や代理店、スポンサーの都合で編集や企画が左右される環境から離れ、コンテンツを“自分の言葉”で出せる自由を得るという文化的な意味が大きい。
実際、松本人志は過去に「地上波は“攻めた笑い”が通らない」と何度も口にしていた。浜田雅功も「スポンサーの“顔色”でネタが変わる現場」に苦言を呈していた。
つまり、「ダウンタウンチャンネル」は、笑いをテレビから解放する試みでもあるのだ。

この動きは、お笑い界だけの話ではない。
音楽の世界では、かつてレコード会社が握っていた流通をSpotifyやYouTubeが奪い、今ではアーティスト自身が配信・収益化する時代になった。
漫画業界も同様で、紙雑誌からWeb連載へ、そして作家個人がnoteやBoothで作品を直接販売する流れが加速している。
──そう、「コンテンツの直販化」という潮流が今、あらゆるジャンルで起きているのである。

そしてこの文脈で見ると、「ダウンタウンチャンネル」は“時代遅れの懐古プロジェクト”ではなく、むしろお笑い界が遅ればせながら時代に追いついた一歩目と考える方が正確だ。
ブランド力、コンテンツ力、影響力──それらをすべて持つダウンタウンが旗を振ることで、「芸人が自分のチャンネルを持つ」という文化が一気に加速する可能性すらある。

もちろん、課金モデルの成功には中身が伴わなければならないし、若年層へのリーチや信頼の再構築といった難題も山積みだ。
だが、もしこの試みが軌道に乗れば、10年後、「テレビ局の編成会議」ではなく「芸人の自前チャンネル」が業界の中心を握っている……そんな未来も、現実味を帯びてくる。

……とまぁ、偉そうに語ってるけど、俺はその未来を配信の切り抜きで見る側なんだけどなw

「ダウンタウンチャンネル」だけじゃない──他分野に見る“直販革命”の共通点

ダウンタウンチャンネル」を“お笑い界の新しい挑戦”としてだけ見ると、ちょっともったいない。
これって、実はエンタメ以外の分野でもガンガン起きている「直販革命(Direct to Consumer)」という大きな潮流の一部なんだよ。

たとえば音楽の世界。
昔はアーティストがCDを出すにはレコード会社と契約しなきゃならなかった。会社が録音費用を出して、プロモーションして、流通網に乗せてくれる。その代わりに利益の大部分は持っていかれるというのが当たり前だった。
でも今は、YouTubeやSpotifyで個人が直接リスナーに作品を届けて収益化できる。レコード会社を通さず、ファンとの距離をゼロにできるわけだ。

同じ現象は出版にも起きている。
小説家や漫画家が出版社に企画を持ち込むのではなく、noteやKindleダイレクトパブリッシングで読者と直接つながる流れが加速している。出版社に“選ばれた者”だけが世に出る時代は終わりつつある。

クルマ業界も同じだ。
トヨタやフォルクスワーゲンがディーラーを介さずオンライン直販を始めたのは象徴的だよね。今や新車の購入手続きはスマホで完結し、販売店という「中間地点」は省かれつつある。

……で、これら全部に共通しているのが「中抜きの排除と、作り手と受け手の直接接続」という考え方なんだ。
「ダウンタウンチャンネル」もまさにこの系譜にある。テレビ局、代理店、スポンサーという“間に挟まっていた構造”を飛び越えて、芸人自身が笑いの配信者になるという構造転換だ。

ちょっと面白いのは、これって実は江戸時代の長屋文化にも近い。
昔は芝居や落語って、藩主や大名が“お抱え芸人”を雇って演じさせてたんだけど、江戸後期になると、庶民が直接お金を払って見に行く「寄席」文化が広がっていった。
つまり、コンテンツが“権力やスポンサーに支配される時代”から、“観客が直接支える時代”への転換って、歴史的にも何度も繰り返されてるんだよ。

そう考えると、「ダウンタウンチャンネル」ってただの“芸人のサブスク”じゃなくて、もっとでかい話──**「芸のあり方そのものを再び庶民の手に取り戻す試み」**でもあるんだ。
笑いって、本来はお金も地位も関係なく、誰もが共有できるものでしょ? それを再び“自分たちのルール”で作ろうって動きが、ここにある。

……まぁ俺は、その“庶民”の側にすら入れず、配信の無料パートしか見ない予定なんだけどなw
でも、テレビが当たり前だった時代に育った人間からすれば、「笑いの中心がまた動き出す」ってだけで、ワクワクしちまうんだよ。

「ダウンタウンチャンネル」は“終わりの始まり”かもしれない

正直なところ、「ダウンタウンチャンネル」が成功するかどうかはまだ誰にもわからない。
テレビが縮小し、芸能界の常識が変わる中で、レジェンドが“自分たちの船”を出す。それが追い風になるか、過去の遺産にしがみつくだけのものになるのか──それは、彼らがどんな中身を見せてくるか、そして俺らがそれをどう受け止めるか次第だ。

ただひとつだけ確かなのは、「笑いはテレビの中だけにあるものじゃなくなった」ということだ。
芸人が自らのメディアを持ち、ファンと直接つながり、スポンサーに気を遣わずネタを放つ時代がやってくる。
それは、江戸の寄席が大名の御用芸から庶民の娯楽に変わったように、「笑い」という文化が再び人の手に戻ってくるということでもある。

そしてこれは、ダウンタウンだけの話でもない。
中抜きを飛び越え、作り手が受け手に直接届くという流れは、音楽も出版も車も同じ道を歩んでいる。
「お笑いの直販モデル」は、その大きな変化の中の一ピースに過ぎない。

──まぁ、そんなことをエラそうに言ってる俺自身は、月額980円を払うかどうかで今も迷ってるんだけどなw
でも、“テレビの中の神様”だった二人が、自分の名前で世界に殴り込みをかけるというその瞬間を、同じ時代に生きて目撃できるのは、ちょっとワクワクする。

11月1日、「ダウンタウンチャンネル」は始まる。
笑いの未来を動かすのは、あの二人かもしれないし、もしかしたらあなた自身かもしれない。

2025年09月27日 更新

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